養老孟子『死の壁』,新潮新書,2004年

何度も読んでいる。以下、気に入った箇所を抜き書き。本の前半部分が多い。

「何がわかるかわかっていたら、調べても仕方がないでしょう。わからないから面白いんじゃないでしょうか」(p.12)

 

ただし、人生でただ一つ確実なことがあります。
人生の最終解答は「死ぬこと」だということです。
これだけは間違いない。過去に死ななかった人はいません。
人間の致死率は100パーセントなのです。(pp.12-13)

これ、初めて見たときはかなり衝撃を受けた。「過去に死ななかった人はいない」なんて、冗談のような真面目な話。

 本書では、死にまつわる問題をさまざまな形で取り上げています。現代人は往々にして死の問題を考えないようにしがちです。しかし、それは生きていくうえでは決して避けられない問題なのです。(p.15)

 

殺すのは極めて単純な作業です。システムを壊すのはきわめて簡単。でも、そのシステムを「お前作ってみろ」と言われた瞬間に、まったく手も足も出ないということがわかるはずです。(p.18)

これも強く印象に残っている。月までロケットを飛ばせても、ハエ一匹作れない、というのも。

 自分たちで安全に壊すことすら出来ないものを作って一体どうするのでしょう。正気の沙汰ではありません。漫画です。(p.20)

安全に処理できないゴミを出し続ける原発をイメージした。

今はあちこちで生命を平気で叩き潰しています。そういう現代人が「なぜ人を殺してはいけないのか」と聞かれても答えに詰まるのは当然のことかもしれません。(p.22)

 

「そんなもの、殺したら二度と作れねえよ」(p.22)

ハエとかも同じ。植物だって作れない。

実体としての人間の持つ複雑さとかそういうものとは別に、勝手に意識だけが人間のすべてだと考えるようになった(p.24)

 

 人間は変化しつづけるものだし、情報は変わらないものである、というのが本来の性質です。ところがこれを逆に考えるようになったのが近代です。(pp.27-28)

コンピュータも脳が外部化したようなものか?

 近代化とは、人間が自分を不変の存在、すなわち情報であると勘違いしたことでもあるのです。(pp.32-33)

 

実体と関係なく、何かに境界線を引いたり、定義出来たりするというのは言葉のもつ典型的な働き(p.57)

 

「死の瞬間」というのは「生死」という言葉を作った時点で出来てしまった概念に過ぎず、実際には存在していない(p.57)

本書の中で紹介されていた「今昔物語集巻19第2話 参河守大江定基出家語第二」、おもしろかったので引用。

而るに、女、遂に病重く成て死ぬ。其の後、定基、悲びの心に堪へずして、久く葬送する事無くして、抱て臥たりけるを、日来を経るに、口を吸けるに、女の口より奇異(あさまし)き臭き香の出来たりけるに、疎む心出来て、泣々く葬してけり。其の後、定基、「世は疎き物也けり」と思ひ取て、忽に道心を発してけり。
http://yatanavi.org/text/k_konjaku/k_konjaku19-2