読売新聞・[時代の証言者]グレートジャーニー 関野吉晴

令和5年8月8日読売新聞。

[時代の証言者]グレートジャーニー 関野吉晴<6>巡り合った平等社会

 獲物が届いてから準備するので、食べるまで時間がかかります。みんな腹ぺこのはずなのに、楽しそうにおしゃべりしながら待ちます。村人の肩には人に慣れた小鳥が止まり、僕の膝にもヒヨコが乗っている。ここでは人と動物の境界がはっきりしません。

令和5年8月7日読売新聞。

[時代の証言者]グレートジャーニー 関野吉晴<5>トウチャン家との親交

 マチゲンガの男にとって、荷物を背にして歩くのはつらいだけの労働。狩りは生業なりわいであり、一番の楽しみです。獲物の動きを観察して足跡を読む。先の展開を予測するには、エサになる植物の知識も必要です。経験と想像力を総動員して、獲物を追い詰めます。
 獲物がゼロの日もあれば、大物が捕れる日もある。肉がある間は狩りはお休み。食って寝るだけの日々です。みんなで分け合い、食べ尽くします。獲物を持ち帰れば、家族も喜ぶ。苦労があっても、狩猟は楽しいわけです。僕は自分の半生を思い返し、考え込んでしまいました。
 工業社会とか、情報社会とかいっても、その基盤は農耕社会です。種まき、水やり、草刈りと続く労働は将来の収穫のためにある。
 受験戦争をくぐり抜け、高校、大学と進んだとしても、その先には就職があり、会社でもポストをめぐる競争があります。将来のため、喜びはいつも先送りです。
 今を楽しむマチゲンガ族の生き方を、大学生だった僕は心底うらやましいと思いました。

枡野俊明『仕事も人間関係もうまくいく放っておく力』三笠書房,2021年

放っておいていいことは放っておく。そうすれば頭や心がすっきりし、目の前の大事なことに集中できます。わずらわしいことを最小限に抑えて、人生をより楽しく、快適に、健やかに生きることができるのです。(はじめに)

家の中に不用なモノをため込めばため込むほど、心もどんどん重くなっていくのです。(p.95)

  • はじめに
  • 1章 むやみに「関わらない」―人間関係はもっとドライでいい
  • 2章 いちいち「気にしない」―不安・焦り・怒りの手放し方
  • 3章 やたらに「反応しない」―心をすり減らさない練習
  • 4章 無駄に「疲れない」―自分で自分を苦しめない考え方
  • 5章 無理に「白黒つけない」―人生を快適に生きるヒント

報・連・相

最近はあまり聞かなくなった「ほうれんそう」。報告・連絡・相談。山崎氏による本書がルーツらしい。

経営者として社員のタテ・ヨコの意思疎通をいかに活発化できるか。著者の発見した解が「ほうれんそう」である。

よって、部下や社員に対して一方的に「報・連・相を徹底せよ!」と言うのは「ほうれんそう」本来の趣旨に反しているのである。下々に求めるものではない。報・連・相が自然となされるような風通しの良い組織をつくるのがリーダーの仕事なのである。

(略)直属の上司は、部下のおかれている状況を正確に把握し、上に報告していたか、中途入社で浮いた存在になりやすい社員に、同僚・部内の横の連絡はちゃんと行なわれていたのか、そして前からいる社員に気がねすることなく、何ごとも相談できる雰囲気はあったのかと考えた。(山崎富治『ほうれんそうが会社を強くする : 報告・連絡・相談の経営学』,ごま書房,1986,pp.17-18)

 

 私は、会社の"ほうれんそう"が立派に育っているかどうかの一つの目安は、イヤな情報、喜ばしくないデータなどが、何の粉飾もされずに正しく上に伝えられることだと思っている。人間関係がよく、和気あいあいで、ツーといえばカーというような組織が、一見うまくいっているように見えながら、その裏で陥りがちなのが、"イエスマン病"である。上の言うことは、ハイ、ハイと無批判に下へ伝えられるが、下からの批判や、否定的情報が上に伝わらない。
 上の人間が聞いて不快になりそうな情報は、なるべく伝えないようにしようという土壌がいつのまにかできているとしたら、この土壌には立派な"ほうれんそう"は育たない。にこにこと賛成してくれそうな情報ばかりが流れる土壌には、ほんとうの"ほうれんそう"は育たないのである。(山崎富治『ほうれんそうが会社を強くする : 報告・連絡・相談の経営学』,ごま書房,1986,pp.25-26)

市町村職員として持っておきたい本

明日から新年度が始まる。新規採用され、明日から市町村職員としての勤務が始まるという人もいるだろう。

人口5万人以下くらいの市町村職員として、手許に置いておきたい書籍を紹介したい。

 

これは必ず手許に置いておきたい。「取組」とか「取扱い」とか、公用文ならでは表現というものがある。ちょっとしたカガミ文、通知文を書く際にも毎度参照する。

公用文のお作法の概略をつかむには、とても便利な1冊。著者は、最近話題のお方。「いたどり」とかは、今でも意識している。

これも書架にあるはずだが、自分用に1冊欲しい。もう何冊買ったかわからない。毎度、ページの糊がはがれるほど参照する。何度も参照する。付箋でパンパンにふくれるくらい参照する。法制執務を知っているかどうかで、長い市町村職員生活が大きく変わってくるくらい重要。興味が出てきたら『ワークブック法制執務』も参照すること。

少し古い内容が含まれるが基本知識を得るために必携の一冊。

学陽書房のやつでも、ぎょうせいのやつでもお好みで。職場の共通書架には必ず置いてあるはずだが、手許にも1冊置いておきたい。線を引いたり、書き込んだりするので。毎年買うのが辛ければ3年毎とかでも良い。条文に改正が入ってないか確認が必要にはなるが。

選挙事務は、必ずあたるはず。年に1回とか数年おきとかの事務だが、その重要度は極めて高い。1ミスが命取り。どの選挙のやつでも構わないので「投・開票事務ノート」は、1冊デスクにしのばせておきたい。有効票・無効票の判定目安なども開票事務の際に非常に参考になる。

養老孟子『死の壁』,新潮新書,2004年

何度も読んでいる。以下、気に入った箇所を抜き書き。本の前半部分が多い。

「何がわかるかわかっていたら、調べても仕方がないでしょう。わからないから面白いんじゃないでしょうか」(p.12)

 

ただし、人生でただ一つ確実なことがあります。
人生の最終解答は「死ぬこと」だということです。
これだけは間違いない。過去に死ななかった人はいません。
人間の致死率は100パーセントなのです。(pp.12-13)

これ、初めて見たときはかなり衝撃を受けた。「過去に死ななかった人はいない」なんて、冗談のような真面目な話。

 本書では、死にまつわる問題をさまざまな形で取り上げています。現代人は往々にして死の問題を考えないようにしがちです。しかし、それは生きていくうえでは決して避けられない問題なのです。(p.15)

 

殺すのは極めて単純な作業です。システムを壊すのはきわめて簡単。でも、そのシステムを「お前作ってみろ」と言われた瞬間に、まったく手も足も出ないということがわかるはずです。(p.18)

これも強く印象に残っている。月までロケットを飛ばせても、ハエ一匹作れない、というのも。

 自分たちで安全に壊すことすら出来ないものを作って一体どうするのでしょう。正気の沙汰ではありません。漫画です。(p.20)

安全に処理できないゴミを出し続ける原発をイメージした。

今はあちこちで生命を平気で叩き潰しています。そういう現代人が「なぜ人を殺してはいけないのか」と聞かれても答えに詰まるのは当然のことかもしれません。(p.22)

 

「そんなもの、殺したら二度と作れねえよ」(p.22)

ハエとかも同じ。植物だって作れない。

実体としての人間の持つ複雑さとかそういうものとは別に、勝手に意識だけが人間のすべてだと考えるようになった(p.24)

 

 人間は変化しつづけるものだし、情報は変わらないものである、というのが本来の性質です。ところがこれを逆に考えるようになったのが近代です。(pp.27-28)

コンピュータも脳が外部化したようなものか?

 近代化とは、人間が自分を不変の存在、すなわち情報であると勘違いしたことでもあるのです。(pp.32-33)

 

実体と関係なく、何かに境界線を引いたり、定義出来たりするというのは言葉のもつ典型的な働き(p.57)

 

「死の瞬間」というのは「生死」という言葉を作った時点で出来てしまった概念に過ぎず、実際には存在していない(p.57)

本書の中で紹介されていた「今昔物語集巻19第2話 参河守大江定基出家語第二」、おもしろかったので引用。

而るに、女、遂に病重く成て死ぬ。其の後、定基、悲びの心に堪へずして、久く葬送する事無くして、抱て臥たりけるを、日来を経るに、口を吸けるに、女の口より奇異(あさまし)き臭き香の出来たりけるに、疎む心出来て、泣々く葬してけり。其の後、定基、「世は疎き物也けり」と思ひ取て、忽に道心を発してけり。
http://yatanavi.org/text/k_konjaku/k_konjaku19-2

利根村損害賠償請求事件

村への損害賠償請求は棄却されたが、随意契約及び公金支出には違法性が認められるとされている。

ア 前記認定のとおり,本件契約の締結は,その姿形と由来により,群馬県の天然記念物及び利根村の指定文化財であった「経塚の松」に代わる赤松の植栽を目的とするものであって,単なる樹木の植栽を目的とするものとは異なるから,請負代金も比較的高額になることが予想され,注文者である利根村において,本件事業の対象となる赤松が「経塚の松」に比肩しうる特別なものとして生育する見込みがあるかどうかにつき関心を払い,さらにそればかりではなく,植栽工事の遂行能力や植栽後の手入れ,植栽した赤松が枯死した場合はこれと同等の松を植え替えるための枯れ保証の必要といった点の考慮から,本件契約の相手方の資力,信用,技術,経験等その能力に大きな関心を持ち,これらを熟知した上で特定の相手方を選定してその者との間で契約を締結するのが妥当である。
ところが,C課長は,被告B方のみ現地調査を行い,有限会社G及び有限会社Hがいかなる赤松を所有しているのかを確認しないまま,見積りを徴する業者として選定した上,「経塚の松」は樹齢約600年であるにもかかわらず,被告B方に樹齢約40年の松があることに基づき,見積りを依頼する際に赤松の条件を約40年生程度と決定した。また,C課長は,利根村内で被告Bの悪いうわさを聞いたことがないということのみをもって,被告Bの資力,信用及び技術には問題がないと判断し,利根村以外の業者である有限会社G及び有限会社Hの資力,信用及び技術については調査せず,被告Bとの比較を行わなかった。
このような事情によれば,選定された造園業者の中で被告Bが最低額の見積書を提出したことを考慮しても,本件契約においては,被告Bを相手方とすることが当初から予定されており,そのため,他の造園業者との比較において被告Bが本件契約の相手方として適当であるか否かの検討が怠られたものと推認せざるを得ず,この事実は本件契約を随意契約の方法で行ったことの公正を妨げる事情に当たるので,本件契約とこれに基づく本件公金支出には違法性が認められる。